第十四話「道の道とす可(べ)きは常道に非(あら)ず」

第十四話「道の道とす可(べ)きは常道に非(あら)ず」


今回は、「老子(ろうし)」の冒頭の一文から。
道の道とす可(べ)きは常道に非(あら)ず


道とは、色々な言い方が出来るし、厳密には説明出来ない。

自身で体得していくしかないし、今正に皆さんはその道を歩んでいる。
誰もが「道」を求めているし、歩いているし、辿ってきたし、どこまでも続いている。




終わりはある。
しかし、それは始まり。



永遠がある。
しかし、終わりもある。
そして、永遠がある。
しかし、始まりはある。
そして、永遠はある。


今回は、細かい説明をしません。
古典講座で説明無しかーい!笑



やっぱり歩んできた、この道に聴くのがいい。




それぞれの道がある。

 

 

 
それが答えだし、
感動して、
二度ないいのちを、
最大限、
いま、
ここ、
輝かせて、
道に生かされて、
道と共に生きていく。



道は、母の母、そのまた母、根源の母のようなものかもしれない。




道の道とす可(べ)きは常道に非(あら)ず
常道とは、当たり前と言ったところか。
当たり前なんてないよね。




さて、共に道を歩きましょうか。
そして、道で出逢いましょう。




時満ちて 未知なる道が拓くとき
出逢えるだろう 真(まこと)のあなたに





読んで頂き感謝します。ありがとう。



坂上太一拝

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コメント: 4
  • #1

    sora (月曜日, 30 7月 2018 08:00)

    自分がやっていることに不安を持つことが結構あるんですけど…
    でもそんな気持ちも含めて道が出来てるんですね。クネクネ道なんだろうけど それが私のつくった道!やりたいことに向かって進みます!
    太一さんの言葉にいつも励まされます。ありがとうございます
    *\(^o^)/*

  • #2

    坂上太一 (月曜日, 30 7月 2018 09:40)

    soraさんにしか歩けなかった道ですよ。
    そのまんまで、素晴らしいと思います。そのまんまでいい!

    人間不完璧だけど、困る事なんてなくて、その時その時で「学んでる」んですよね。

    あと、とある例え話。
    道を歩いている時、いつも神さまと二人で歩いていた。
    だから、足跡も二人分。

    ある日を境に、辛い辛い毎日。
    どうしようもないくらい辛い毎日。

    だけど、そんな時に足跡は一人分しかなかった。
    あの時、どこにいたのか、神さまにたずねると。

    君を背負って歩いていたんだと。


    足跡が、一つだったのは、辛いとき、苦しいとき、神さまの背中で泣きじゃくっておんぶされていた。


    何だかね、僕はどんなことが起こっても、安心して一歩一歩歩こう、なんて凄くこの話に励まされました。


    そのまんまでいいです。
    誰にも歩けない道を誰もが十分に、歩いています。

  • #3

    suminokaori (月曜日, 30 7月 2018 21:19)

    うっ((T_T))
    神様の話涙出てきました。
    最近、自分の岐路にたたされることが何度かあり、でも今までも自分で決めてきた人生なんだんだな~って!
    でも、この話でゆっくり行こうと思いました。有難うございます。

  • #4

    坂上太一 (月曜日, 30 7月 2018 22:00)

    うん、神様の話、書いてる僕も泣きそうになりました。笑

    うん、確かな軌跡こそかけがえのない宝物にかわると信じてます。
    ぼちぼち、歩いていきましょう( ^∀^)

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