第一話 「古教照心、心照古教」 (こきょうしょうしん、しんしょうこきょう)

「古教照心、心照古教」
(こきょうしょうしん、しんしょうこきょう)

さて、蝉も鳴き始め、いよいよ夏本番。
古(いにしえ)の賢人達も、蝉の声を聴きながら仕事をし、夜な夜な古典を学んでいたことでしょう。


古教照心(こきょうしょうしん)‥‥

意味は、古い教えに心が照らされるということ。
心には「いのち」という意味もあるので、古の教えにいのちを照らされる。

多くの学者はここで終わってしまう。

 


しかし、車で例えてみよう。
古い教えをガソリンだとすると、ガソリンを入れて満タンになっているのに走らなかったら意味がない。
むしろ、満タンになっているのに、さらにガソリンを入れ続けたら漏れ出して危ないではないか。

 


だから、次の心照古教(しんしょうこきょう)が大事なのだ。

意味は、心(いのち)が、古の教えを照らすような生き方をしていく☆

 


これは、ガソリンを入れたら走ろう!ということだ。実践の段階である。

 

 


どんな教えでもわかったようになって、頭でっかちになっては、知識をひけらかすだけの人間になってしまう。
知は、ヤマイダレがつくと「痴(バカ)」となってしまう。知は、時に人間を悪くする。

学んだ知識を、何にでも当てはめると無理が生じる。

 

 

 

正義は、時に人を傷つけるのだ。
だからこそ、優しさが大事である。


学べば学ぶほど人に親切にしよう、という気持ちが持てる人間でありたいものである。


学べば学ぶほど、挨拶ができ
学べば学ぶほど、靴を揃えることができ
学べば学ぶほど、椅子を引いたら仕舞うことができ

 


そんなこと、小学生で習って知っている。
ただ、知っているだけで実践しない人が多いのも事実。
誰に褒められることもなく、粛々と実践する。


そして、いつだって上機嫌でいるのだ。


それが、本来の
古教照心、心照古教なのかもしれない。



自分は悟ったから威張っていいのではない。悟った人は、お釈迦さんにしてもキリストさんにしても常に上機嫌だったのだろう。


立派な人物とは、いつの時代も、常にニコニコ顔でど真剣に生きているもの。


では、常に上機嫌でいることは、悟った生き方ではないだろうか。


これから、配信する古典講座を、楽しく生きるための「杖」として、活かしていただけたら幸いであります。


古教照心、心照古教
共に学び、歩みましょう☆

照らされて おのがこころは一隅を
照らすときぞ 真心の人

 

 

読んでくださって感謝します。ありがとう☆
坂上太一

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コメント: 4
  • #1

    YaSu (木曜日, 12 7月 2018 22:34)

    なるほど、古教照心 心照古教 まさに坂上太一の事ですね☆

  • #2

    坂上太一 (木曜日, 12 7月 2018 23:44)

    うわお!ありがとうございます!

  • #3

    YURI (金曜日, 13 7月 2018 09:59)

    これが古典なんですね!
    太一さんの解説が分かりやすくて面白い!

  • #4

    坂上太一 (金曜日, 13 7月 2018 10:10)

    ありがとうございます!古典と一口に言っても、とても広く深いので、様々な角度、視座からお伝え出来ればと思っています( ^∀^)